訪れたのは2月。その前にも2度ほど下見に行きました。
が、いずれも日没後の到着だったので写真が撮れず。
オフにして、ようやく明るいうちに行くことができました。
これは、図書館前ではなく、最寄りの豊田駅南口駅前にある看板。
実際の名称は、日野市立中央図書館です。
(市内には日野市立日野図書館もあります)
(応援結晶の有川先生の寄稿文のページにあった写真と同じアングルを目指してみました。)
看板の場所はここ。
『戦争』p268-274
襲撃は迅速かつ圧倒的だった。
前年に規模を拡大した新館に移転し、館員がまだ館内の配置に不慣れだったことも不幸だった。まだ図書館員が残っている閉館直後を衝かれたこともあり、避難と応戦が混乱して襲撃後二十分を待たず日野図書館は閲覧室を占拠され、職員たちは書庫のある地下に立て籠もって敵の激しい銃撃を凌いでいる状態だった。
(略)
倒れた妻に声をかけようとして血を吐きかけながら、稲嶺の意識はそこで途切れた。
第一印象は、思ったよりも小ぢんまりとした図書館だということ。
短大時代、図書館学の講座を履修していたころから中小レポート(*)の名前とともに、何かにつけ名前を聞いていた、本当に現実世界でも伝説の図書館ですので、何十年来思い描いていたものとはギャップがありました。
(*中小レポートとは、
『戦争』p20
…戦後発表された論文『中小都市における公共図書館の運営』(通称『中小レポート』)…
p76
昭和四十年に移動図書館から出発し、当時としては驚異的な貸出数を達成した東京日野市の日野市立図書館を知らない図書隊員は存在しない。地域住民に図書館サービスを提供することを第一義とする中小公共図書館こそ公共図書館の真髄である、と提唱した『中小レポート』の理念を初めて実現した伝説の図書館だ。
『図書館の自由法』の元になった『図書館の自由に関する宣言』は、入口入ってすぐ左、カウンターの後ろ横側に掲示してありました。
聖地巡りで行った武蔵野市内の各図書館には掲示されてなかった(見つけられなかった)のですが、さすがの日野図書館。
(写真も撮りたかったのですが、館内は無許可撮影禁止なので…。許可とる勇気もなくw)
図書館の裏側というか、敷地内にはこんな祠があります。
一瞬、『日野の悪夢』の12名の慰霊のためか?とか思ってしまった私は、現実とフィクションの区別が付いていませんw
実際は、現地に元からあった神社のようです。
下側にはこんな清流も流れていました。
(参考:京浜河川事務所サイト)
ttp://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/tama/know/spring_water/14/index.htm
日野の悪夢の描写のせいか、図書館の正面よりも、職員が立てこもっている地下書庫方面や、そこから逃げ出ようとしたであろう非常口裏口が気になりました。
実際の事務室は2階のようです。(←麦秋会はここ見ててもスルーしてw)
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聖地巡りの記事書くのも3カ月ぶりだと、引用文の体裁だとか、地図の大きさだとか、すっかり忘れてしまっていました。
書いてみると、とくに凝ったわけでもないいつもながらの記事だったのですが、なぜか訪問から4か月近くもかかってしまいました。
寝かせたからって、熟成するわけじゃないのよw
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